2015.3.5 [ スタッフブログ ] 投稿者:さほらぼスタッフ
ぶらり自転車の旅
お世話になります。今年も花粉に悩まされる季節がやってきました。昨年は上司に専用
のメガネいただいて乗り切ったことを思い出します。大木です。
今回は県境を越えて隣の県、鳥取まで行ってまいりました。
この方の故郷でございます。
距離にして約35km。奈義町ー智頭町をまたぐ黒尾峠越えは厳しい道のりでした。
直線の先のカーブを抜けて見える先は、同じく直線とカーブ。ひたすら繰り返しで同じ景色に孤独ささえ感じ
てしまいました。息切れと疲労で薄暗い気味悪いトンネルもお構いなく気持ちは鳥取県。
トンネルを抜けたらつきました。智頭町です。
峠を下ってついたところは智頭宿。参勤交代の道 因幡街道がある宿場町。
ここが以前行った西粟倉の因幡街道と結ばれていたのかと思われます。
智頭のことをなんでも話してくれるこのお方、一間半ほど小さな小屋の中で名物でもある杉玉を
作りながらいろいろ話をしてくれました。
「建築なら・・・」と聞いて行った先は「杉神社」
昭和30年完工した神社のようですがふつうの神社と違い一見神社には見えません。
杉の精霊が宿ると伝えられています。個人が私財を積んでおこした神社だそうです。
この神社の形を成す意味を知りたいです。正面は鳥居のような2本の柱を入って滝からの清流沿いを右手に
朽ちた建物があります。石の階段をのぼって低く横にのびやかな屋根をくぐったあと、白い三角形の塔。
これは杉を形どったご神体と伝えられいるそうです。
湿度の高い中に育つコケ、草木がいきいきと感じられます。
町はお休み。
見つけてしまった看板のとおり、向かった先は板井原集落。山村集落で伝統的建造物群保存地区です。
4kmほどの急傾斜を上って細いトンネルの先に小さな集落があります。景色は一遍に変わり
丁度、雪解けが始まったころでしょう。集落は道沿いの川を挟んで存在しています。
江戸時代は農業と炭焼き、明治時代は養蚕で栄えた集落だそうです。
その場でしか感じ取れない良さ、古い木造の茅葺の家、街並み、原風景が荒らされることなくこの先ずっと
残されてほしいと願います。
黒尾峠のきつさより遠回りを選んで西粟倉周り、しかし向かい風で足も心も折れる寸前。
とうとう100km越えの長い道のりでした。